今巡礼始祖が1620年にアメリカにたどり着いたケープコッドに来た。
そしてそのケープコッドのマシュピーというところに新しい住宅地マシュピー・コモンズをつくっている建築家の日系三世のイマイさんに『吉祥寺スタイル』と『igocochi(イゴコチ)』をあげたら、とても喜んでくれて、この二冊の中間のような本を自分と渡先生(吉祥寺スタイルの共著者)と私の3人でつくりましょうと言ってくれた。そして吉祥寺に行きたいとも。すぐにでも来たいような口調だった。ついに吉祥寺を世界に発信する時が来たぞ!
イマイさんはその後サンドイッチという地区を案内してくれた。ケープコッド様式の住宅がたくさんある緑豊かな地域で、イマイさんもマシュピー・コモンズをつくりにあたり、参考にした地区だそうだ。レヴィットタウンのケープコッド様式の住宅の原点がここにある。
夕方はハーバード大学近くの書店、クープとハーバードブックス(そのままですね)を行く。ハーバードブックストアのほうが私好み。ハーバードブックストアは外観はいかにもボストンの大学街の書店らしい重厚な雰囲気だが、地下の店内はサブカルっぽい。クープと合わせて5冊購入。あと10冊くらい欲しい本があったが、荷物が重くなるのでタイトルをメモだけして、あとでアマゾンで注文した。買った本のうち一冊は昨年だか映画になった1930年代アメリカの女性バラバラ殺人事件をシュールリアリズムの観点から分析したという異色の本。グロいけど、面白そうである。
バスでボストンへ移動。今日は移動だけ。途中アウトレットモールで食事をかねて2時間休憩。2時間は長すぎると思うが、おみやげを買う人もいるってことで、私にとっては無駄な時間だけど仕方ない。
なにしろ不通庵をつくって以来私は物欲がない。今年は衣類は靴下一枚たりとも買わないと決めているし、実際欲しくならない(旅行用にパタゴニアのジャケットは買ったが)。
ボストン着後はツアコンさんの案内で軽く市内を見学。ロンドンみたいな街並みだから、逆に、アメリカでロンドン見てもなあ、という気持ちになる。もちろん良い街並みだけどね。
都市計画の魔術師と呼ばれたラウスが設計した再開発商業地域も見たが、こういう商業地域を見るのも飽きた。古い建物を再生して、商業施設にし、その前で大道芸がパフォーマンスをするっていう、いつもお決まりのパターンだからだ。ラウスはこういう再開発の本家本元だが、どこにもこういうものができたせいか、マンネリな感じがするのだ。
セントラルパークを散歩。ニューアーバニズムや田園都市を訪れてきた経験を持って見ると、この講演の素晴らしさがまた格別だなと感じる。
と同時に、井の頭公園ってセントラルパークに似てるじゃんと思う。
午前中はニュージャージー州のラドバーンを視察。ラドバーンは2年前に服部圭郎くん(明治学院大学准教授)と共に来て以来二度目。
今日は蒸し暑かったがラドバーンの素晴らしい環境に改めて感心した。住民の満足度が高すぎるため売る人がなく、昨年一年間で売買取引なし、もし売れば24時間以内に買い手が付くと言われるほど人気があるという。(ラドバーンの家は、平均で土地が450平米。物件価格は5000万円ほど)
ラドバーンは1929年にクラランス・スタインが設計した。スタインはレッチワースを訪れて感銘を受け、アメリカにも田園都市を造りたいという思いでヘンリー・ライトらとともに地域計画協会を設立したのである。
そのため当然だがラドバーンはレッチワースへのオマージュに満ちている。それは町のメインストリートにハワード通りという名前が付けられていることからも明らかである。
また、スタインとともにラドバーンの構想を練ったクラランス・ペリーは、良い住宅地は子どもの育つ環境がよい住宅地であると考えていたという。その思想はラドバーンの現在の環境を見れば200%体現されていることが肌で実感できる。子どもを包み込み、見守るかのような豊かな緑は、そこにいるだけで心を癒し、育ててくれるかのようだ。
日本の住宅地には、この子どもが人間としてよりよく育つ、全人的に育つ環境という視点が欠落しているように思えてならない。かつては成城学園、国立といった文教都市としての性格を重視した田園都市が造られたのに、戦後、特に近年の住宅地にはそういうものがないような気がするがどうだろうか。作る側にそう言う理念を持った人がいなくなったのではないか。
ニューアーバニズムの住宅地でもそこがうまく実現できていると感じられるものはそう多くない。どれも外面的なデザインが先行し勝ちであり、防犯という観点では子どもの立場を重視しているが、子どもが人間としてよく育つ環境としてはどうなのか、はっきり感じられるものは少ない。
私がこれまで訪れた海外の町で、ここに住んでみたい、そして子どもが育ててみたいと思ったのは、レッチワースとラドバーンとヴィレッジホームズだけである。
物理的には、クルマの比重が低いほど子どもにとってはよい環境であると私は思う。自宅からコモンを抜けて、いっさい車道に出ずに学校まで行けるラドバーンは最高である。
しかしそれだけではない。おそらくデザインの細部に至るまで子どもを育てるという視点が完徹されているのだ。つねに、そこに子どもがいたらどういう風景になるか、それは好ましい、平和な、安らぎのある風景かということを考えながら設計したのではないかと思えるほどである。
午後はロングアイランドのレヴィットタウンへ行く。
ラドバーンは、スタインらと共に地域計画協会の一員だった高名な都市文明批評家であるルイス・マンフォードも大いに評価する住宅地であったが、そのマンフォードが激烈な批判を向けたのがレヴィットタウンである。
レヴィットタウンも二年前に二度ちらっと訪問したことがあるが、今回は1時間近く住宅地の中をバスで回ることができた。そもそも1時間近くもバスで回れるほどレヴィットタウンはでかいのだ。そしてそこにはボーリング場とプール以外は住宅しかない。ひたすら住宅なのだ。できた当初は舗装もされず、木もろくに植わっていなかったのである。マンフォードが批判したのも当然であろう。
しかし現在のレヴィットタウンは一応緑がある。ラドバーンを見た後だと、量的にも質的にもとても豊かだとは言えないが、冷静に考えると日本の普通の住宅地よりは遙かに豊富に木立があり、緑が育っている。全盛期より人口はかなり減り、町を歩く人の数も少ないが、しかし町は思ったほど荒れておらず、庭の芝もきれいに刈られている。庭先に花を植える家も少なくなく、庶民にとってはここが愛すべき町だったのだろう、住む人が、規模は巨大だが、ささやかなこの住宅地を庶民の田園として愛し続けてきたという雰囲気が感じ取れるのだ(東京の同潤会普通住宅地にもそういう雰囲気がある)。だからあと20年たつと、さらに落ち着いた味わいのある住宅地になるかもしれないと思った。
ただし、ここまで町が荒れずにいるのは、当初ここに入居した人たちがWASP(ワスプ)のみだったということとも関係するのではないかと私は思う。人種差別をするわけではないが、やはりWASPは住宅地に対して一種の宗教的な感情を持っている。そこは単に住宅がある場所ではない。緑豊かなアルカディア(農村的な理想郷)の中の「丘の上の白い家」というピューリタンの理想の実現である。アルカディアはアメリカ建国の立役者のひとりで、建築家でもあったトマス・ジェファーソンの理想でもある。そうした歴史的、宗教的背景が、レヴィットタウンをここまで維持させる動因になったのではないかと私の想像はふくらむのだ。住宅地と住宅を愛し続けることのできる力というものがアメリカにはあるのかもしれないとも思う。
それともう一つ感じたのは、本来非常に画一的であったレヴィットタウンの住宅が、歴史の中で住民によって自由に増改築され、現在ではそれぞれが個性を持っているという点である(その増改築の様子をラスベガスの都市デザインを肯定的に論じたことで有名な建築家ヴェンチューリがやはり研究したことがあるらしい)。
こうした住み手によって自由に増改築された住宅に住むのと、設計者がはじめから完璧にデザインした場所にそのまま住むのと(ラドバーンがそうである)を比べた場合、果たしてどちらが良いのか? どちらが一般人にとっては好ましいのか? あるいは日本では、どちらが実現性が高いか? 考えるべきテーマである。
ラドバーンのような町に、自由な設計変更なしに住むのは、ラドバーンや田園都市への知識が必要だと思う。その意味ではインテリ向きである。しかし一般人(特に日本人)は、自分で自由に設計したり増改築したりした家に住みたがる。
逆に言えば、ラドバーンのように住民を納得させ規制できるほどの理念を持った住宅地を日本人はつくったことがあるのか。少なくとも戦後、民間も公団もつくったことがあるのかと反問することもできるだろう。
また住む側にインテリジェンスもないとラドバーンのような住宅地は買わないだろう。つくる側にも知性と教養と愛情が必要である。残念ながら日本のハウスメーカーではそういうものはつくれないだろう。中流向けの商品化住宅の発想では無理である。富裕層向けマンション専門の不動産会社なら可能性があるかも知れない。だれかそういう住宅地をつくりませんか? 賃貸だが、世田谷某所の住宅地などは可能性があるかもしれないが。
アメリカ視察開始。
最初は機中泊、といってもほとんど仮眠であり、最初の到着地ワシントンに着くと正午なので、一日やり直しと同じ事になる。ほぼ完徹と同じことだ。
さっそく、ワシントンのジョージタウンを視察。JFKが住んでいた街である。確かにこの家、ケネディの何かの写真で見たような気がする。
次はバスでメリーランド州のゲイザーバーグ市に移動し、ケントランドとレイクランドという、DPZ(デュアニー&プラター・ザイバーグ)が1985年に設計したニューアーバニズムの住宅地を視察。これはDPZの最高傑作ではないだろうか。
特に19世紀当時に地主が掘り、周辺の住人に釣りや水泳のために使うことを許していたという大きな池がそのまま活かされていて、とても贅沢。この池は、あ くまで池であって、湖というものではない自然なものであるところがまた好感が持てる。トム・ソーヤーが遊びそうな雰囲気なのだ。
住宅地から池に至るまでの場所が井の頭公園に似ていた。
その後、フィラデルフィアに移動し宿泊。ここに来るまで忘れていたが、フィラデルフィアはアメリカの独立宣言があった都市なので、独立記念館などがある。
明日からアメリカに住宅視察ツアーに行く。
実は私は今、コルビュジエを調べている。昨年も米国の住宅視察ツアーに行き、シアトルの古本屋で見つけた本が面白くて、半年以上かけて読破した。そこから、コルビュジエとニューヨーク万博と郊外というテーマがつながっていることがわかってきたのだ。そこにフランク・ロイド・ライトやルイス・マンフォードもからんできて、興味は尽きない内容だ。かつシカゴ万博との関連も見えてきた。
と思っていたところに、住宅生産振興財団が毎年行っている海外視察の案内が来た。私はこれまでこの財団の視察に4回参加し、ニューアーバニズムの物件やレッチワースなどを見てきている。今回の視察はワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンジェルスと回る。シカゴではライトのオークパーク、オルムステッドのリバーサイド、にも行くので願ったりかなったりだ。
しかも私はこの視察の「お得意さん」なので、ニューヨーク・ロングアイランドのレヴィットタウンと、シカゴ郊外のパークフォレストにも行ってもらうことにした。その他、ニュージャージーのクラランス・スタインの設計した田園都市ラドバーンも、2006年に行っているが、再訪する。
レヴィットタウンは私の本を読んでいる人ならおなじみだろうが、戦後アメリカの大規模郊外住宅地の代表である。パークフォレストはクルツニックが開発した同様の大規模住宅地だが、都市批評家のウィリアム・ホワイトの著書『組織のなかの人間』の舞台がこのパークフォレストである。「組織のなかの人間」というタイトルからもわかるように、当時は大企業に勤めるホワイトカラーの住宅地だったが、今は40%が黒人だというので、どうなっているのか。
それとシカゴは、レッチワースを作ったハワードが住んだことがあり、その当時のシカゴが田園都市「city in garden」と呼ばれていたことがハワードに影響したのではないかと言われている。
シカゴは1871年に大火事があり、以後都心部に木造建築が禁止され、新しい都市作りがされたのであり、それがレッチワースに影響しているとすればどんなところがそうなのか。この目で確かめたい。特にオルムステッドの設計した住宅地リバーサイドは、一体どんなところなのか、楽しみだ。そしてそのリバーサイドのすぐ北側にライトの住宅がたくさんあるオークパークやリバーフォレストやフォレストパークがある。地名から見ても田園都市風であるが、さて、どういうところであろうか。
ボストンでは、ケープコッドにも行く。ケープコッド(「鱈の岬」の意味)は、ピルグリムファーザーズがたどり着いた場所。レヴィットタウンなどで見られるケープコッド様式のコロニアル住宅は最初にケープコッドにたどり着いた人々が建てた住宅の様式である。だから最もアメリカ人にとってポピュラーな様式であり、ロングアイランドのレヴィットタウンの住宅様式もケープコッドである。ケープコッドの海自体は見られないと思うが、岬をバスで走ることになるはずだ。ニューイングランド地方の古い住宅地も見られるかと思うのでとても楽しみだ。
ところでコルビュジエについて調べていてわかったことを以下に簡単な時系列のメモにしてみる。
1909年、バーナムとベネットが「シカゴの計画」刊行。当時シカゴは、シカゴ派建築(サリヴァン、ライト、バーナムらを中心とする)の興隆があった。また1893年に開催されたコロンビア万博と33年に開催されたシカゴ万博が、建築におけるシカゴの役割を増大させていたとフランス人は考えていた。またコロンビア万博は、その後シティビューティフル運動を生むことになる。
1917年、ベネットが「ミネアポリスの計画」刊行。コルビュジエは「シカゴの計画」「ミネアポリスの計画」を読み、自著「ユルバニスム」には「ミネアポリスの計画」の断片が見られるという。
1922年、コルビュジエが「Ville Contemporaine」発表。これはバーナムとベネットのシカゴの計画に影響されているという。
1924年、マンフォードが著書「Sticks and Stones」でコルビュジエとグロピウスのマシンエイジ的表現を批判し、ライトの自然的表現を評価。
1925年、パリ国際装飾芸術近代産業万博(アールデコ展)エスプリヌーヴォー館でコルビュジエが「もしパリがアメリカ化したら」をテーマにジオラマを展示。
またコルビュジエはこの頃ヘンリー・フォードの著作「My Life and My Work」を購入し、愛読した模様。コルビュジエはフォードに私淑し、合理的経営管理のテイラー主義も礼賛していた。訪米の際にデトロイトのフォード社やGM社も訪ねている。自動車の大量生産方式を住宅に取り入れたいとコルビュジエは考えていたからである。
またコルビュジエはこの年、ヴェルナー・ヘーゲマンの「アメリカの建築と都市構造技術」を読んで、シカゴの開発に関心を持ったらしい。一方で、アールデコ展の影響がアメリカに及び、コルビュジエの存在もアメリカで注目されるようになった。
1927年、コルビュジエがシュトットガルトで開催されたヴァイセンホーフジードルング展に出展。米国の建築雑誌「Architectural Record」で編集者のヒッチコックがコルビュジエに注目した。
1930年、米国の建築批評家キャサリン・バウアーが「超近代のための機械時代の邸宅」においてアメリカは欧州の輸入ばかりではなく、コルビュジエが言うような20世紀のアメリカンスタイルを開発すべきだと主張。フランスのモダン建築の方がよほど明快で、アメリカの技術や摩天楼や自動車や工場から派生した最新の建築を示している。こういう鉄とコンクリートを使った美的で合理的なマシンエイジの住宅は非常にアメリカ的なはずだ」と言及。モダ
ニズムへの関心が高まる。
1930年、コルビュジエ「輝く都市」発表。モスクワに「輝く都市」を提案。
1932年、フィリップ・ジョンソンがMOMAの建築部門を設立し、責任者に就任。ヒッチコックと「Modern Architecture:International Exhibition」を刊行。
1932年、MOMAでモダンアーキテクチャー展開催。ここでコルビュジエのヴァイセンホーフ展出品作やパリ大学都市のスイスパヴィリオン、サヴォア邸などの素描、写真、模型が展示された。サヴォア邸はこの展覧会の目玉になった。
1933ー34年、シカゴ万博 進歩の世紀1833−1933開催。
1934年、MOMAでマシンアート展開催。キュレイターはフィリップ・ジョンソン。NY市住宅公社設立。この公社はコルビュジエの都市像の影響があるようだ。
1935年、コルビュジエがMOMAの招聘でアメリカに講演旅行。10月21日NY着。「輝く都市」をプロモートする目的があった。10月24日MOMAで「輝く都市」について講演。「機械は諸悪の根元だという人もいますし、もっと機械化を進めるべきだという人もいますが、私は最初の機械時代は去った、つまり暴力と雑踏の時代は去ったと考えます。次なる機械時代、すなわち機械文明の時代が今まさに始まろうとしている。その文明の中心は調和です。・・・アメリカ人は強い。われわれ西欧の人間には智慧があります。これまでは両者が手を組み、知恵を出し合ってこなかった。・・・進化とは、最も耐久性のある消費財、つまり住宅の大量生産である。住宅は伝統的な工法によってではなく、自動車のように工場で大量生産されるべきである」などと述べた。
他方、コルビュジエは巨大な郊外住宅地の開発を浪費、社会問題として批判した。デトロイトのフォード工場訪問で「未来の住宅は自動車のように工場で生産されるべきだ」と確信。「それは建築方法の完全な改革、全く新しい都市計画のコンセプトを意味する」と述べた。しかし米国では現実には自動車の普及が郊外化を促進したのであり、レヴィットタウンに見られるように自動車の生産方式の導入が住宅の大量生産を可能にし、さらに郊外化を助長し、コルビュジエの考えとは反対の方向に向かったのである。
MOMAでコルビュジエ展開催。アメリカの大学でもボザール様式ではない新しいカリキュラムの必要性が認識され始める。
1937年、アメリカ旅行記「伽藍が白かったときーー臆病な国への旅」刊行。
1939ー40年、NY万博開催。このテーマパビリオンであるトライロンとペリスフィアを見てコルビュジエは自分の影響を感じたという。
どうです? なかなか面白そうでしょ?
久々に「不通庵」について書きます。
バスルームをガラス張りにすることと、同潤会のドアを使うことが決まったわけだが、あと重要なのは床である。床はもちろんフローリングにするのだが、いろいろな素材がある。まずは新宿のOZONE(オゾン)にある床材メーカーの「マルホン」のショールームに行った。
床は茶色、壁は漆喰で白くしたいと思っていたので、茶色系の床材を探したが、気に入ったのはメープル。メープルは青山の「WOOD YOU LIKE COMPANY(ウッドユウライクカンパニー)」で家具を見たときも好きだった。あとチェリーもいいのだが、やはりメープルにした。
それから設計者だが、これは大月先生の奥さん・大月道子さん(以下・道子さん)が住宅のリフォームの仕事をされていると言うことで、お願いすることにした。
道子さんには一度もお会いしたことがないが、とりいそぎ改装後の部屋のイメージを送ることにした。
最初に送ったのは加賀まりこのヌード写真集(!)。1971年にパリなどで立木義治が撮影した『私生活』という本である。これはそうとういい写真集で、当時まりこ様はもう27歳だったのだが、まさに小悪魔的にかわいい。で、この写真集の一ページに、まりこ様がパリの古い部屋の天井まである本棚の横で椅子に座って本を見ている写真がある。これをコピーして道子さんに送ったのだ。
さっそく大月さんから「女房は、ああ、こういう感じと、すぐにわかったみたいです」とメールが来た。おお、すばらしい。
あとは、大阪の家具屋の「truck(トラック)」のカタログとか、白洲正子の本とかから気に入ったところをコピーして送付。道子さんもほぼイメージをつかんで下さった。そして次第にこのリノベのコンセプトは「西荻の居酒屋風」というものに固まっていった。
私の仕事場も西荻にあるが、インテリアは、吉祥寺の雑貨屋、大人のための「VILLAGE VANGUARD(ビレッジバンガード)」といった雰囲気である。本棚は本物の「エレクター(つまりホームエレクターじゃないということ)」や「truck」のFMシェルフを使っている。「Graf(グラフ)」のシェルフも買ったが、「truck」のほうが良いと思う。
この仕事場は、「不通庵」と同じくらい古いマンションの一室だが、ヤフー不動産で見つけたもので、当時私は今よりもっとお金があったので、古いマンションか家を買うか借りるかしてリノベしようと思っていた。で、ヤフー不動産で吉祥寺と西荻の物件を検索していたら、ワンルームにしてはやけに広い(47平米)部屋が見つかった。それで早速見に行ったのだ。
現地に着くと驚いた。なんと私がリノベしたいと思うようにすでにリノベしてあったのだ。まあ、今時のリノベらしいリノベというか、壁は壁紙を引っぱがして、コンクリートにペンキを荒っぽく塗っただけ。天井は梁をはずしてスラブや配管を露出させ、天井もでこぼこしたままペンキを塗ってある。床は木ではないが、スラブに直接木目のシートを貼り付けてある。つまり天井高が非常に高くなっているので、とても開放的で、バスルームはバスタブがなくシャワーだけ。本来あっただろう壁は洞窟のように削り取られている。トイレのふたは木。洗面台もアンティークで、キッチンは業務用。これを見て私は即決したのである。なのに家賃は1割以上値引きしてくれた。どうも、やはりバスタブがないから借り手に付きにくかったらしい。私のような人間には願ったりかなったりなのだが。ラッキーだった。もしこのマンションが見つからなければ、吉祥寺の中道通りの西公園に面した古い一戸建ての借家を借りてリノベするつもりだった。この借家も公園が借景できるので面白かったと思うが。
で、こういう吉祥寺の雑貨屋風の仕事場と同じようなものをつくっても仕方がないので、今度はもっと大人っぽく、和風にしようと考えた。
その後、しばらしくして、改装する現場を道子さんが見に来られた。その日は、西荻の古道具屋なども視察。古い
木材を使ってリメイク家具を作ったりしている店「無相創」を見たり、東京女子大近くの古道具屋を覗いたりして、私の抱いているインテリアのイメージをつかんでもらった。
4月に出した写真集『igocochi』が、読売新聞、産経新聞、ひらがなタイムスに取り上げられた。
http://www.san-ichi.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=ISBN978-4-380-08206-1
今日はヘラルドトリニューンの取材も受けた。
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200805300052.html
英語メディアに取り上げられるのは私の狙い通り。日頃お付き合いしている企業の皆様からのお話でも、外国人に評判が良いようだ。
igocochiの対談の英文はウェブにもなっているので見て下さい。
http://www.san-ichi.co.jp/igocochi-conversation.shtml
英語で言えば、アメリカの広告業界の人材紹介サイトの「Talent Zoo」に連載を始めた。
http://www.talentzoo.com/website/columns/columncontent.aspx?Id=2179
それと『日本溶解論』についても書いてます。
http://www.talentzoo.com/website/columns/ColumnContent.aspx?Id=2130
『日本溶解論』はより詳しい翻訳も作りました。ご要望があれば。
info@culturestudies.comまで。
吉祥寺の古本屋で買い物。
その1.王貞治写真集。これは見たことがない。長嶋の方が人気があるから写真も長嶋の方がずっと多いと思うが、王選手の凄みのある表情はもうそれ自体が芸術みたいである。有名な彫刻家の佐藤忠良も王貞治の頭像を作っているくらいである。
その2.マリリン・モンローについてノーマン・メイラーが書いた本。しかもアヴェドンらの写真入り。これも初めて見つけた。
その3.国際情報社というところが1965年に出した「新しい日本」という3分冊。東京オリンピック後の変貌する東京を記録した写真ジャーナル。団地や郊外についてかなりページを割いていたので買いました。珍しいのは都心の高級マンションについての記事もあること。黛敏郎が「都心に住む便利さ」というエッセーを書いています。
その他、こんなものを買いました。