ボストンからシカゴへ移動。まずはパークフォレストについて書く。
ここは予想以上に素晴らしい住宅地で驚いた。広々とした緑豊かな公園、住戸のゆったりとした配置、中庭を持った集合住宅、微妙な曲線を描く道路。大衆向けのリバーサイドと言っても過言ではないと思った(リバーサイドはやはりシカゴ郊外の住宅地。次に書きますね)。60年も前にこれだけの質を持った大規模郊外住宅地を建設できるとは、やはりアメリカはすごい。
しかしその素晴らしい住宅地が、レヴィットタウンとは異なり、パークフォレストでは今はかなり荒れている。住宅はあまり手入れがされておらず、商業施設はほとんどが閉鎖している。住民の4割は黒人。住宅の販売価格は1200万円ほど。ということは今は中流というよりは低所得者向けの住宅地に変わっているようである(したがって、若干危険があるかもしれないということで、バスから降りずに撮影したため、写真の出来が悪いです)。
本来パークフォレストは、シカゴ都心部に勤める中流ビジネスマンのベッドタウンであった。それは戦後アメリカにおいて最も初期に最も計画的に建設されたニュータウンの一つと言われる。またレヴィットタウンがウィリアム・レヴィットが勝手に作った住宅地であるのに対して、パークフォレストは、オマハとネブラスカの公共住宅の基礎を築いた父と呼ばれ、1933年には米国政府の公共用地担当長官補佐官に就任したフィリップ・クルツニックが開発したものだ。
計画はエルバート・ピーツ。ピーツはハーバード・スクール・オブ・ランドスケープ・アーキテクチャーで学んだ、学者肌の計画家だった。彼は都市計画についての、そして住宅地を土地の形とフィーリングにいかに同調させるかについての該博な知識をパークフォレストに注ぎ込んだ。彼は、計画する上 でネイバーフッドを非常に重視する計画家だった。つまりパークフォレストは、レッチワース、リバーサイド、ラドバーンといった田園都市の正統の流れをくむ住宅地だと言えるだろう。
またパークフォレストに自ら住んで「オーガニゼーション・マン」という本を書いたウイリアム・ホワイトは、パークフォレストでは住民同士のコミュニティ活動が盛んだったと書いている。
だとすれば、なぜそのパークフォレストがこれほど衰退したのか? 私の推測では、巨大なショッピングセンターが周辺にできたために、パークフォレスト内の商業施設がつぶれ、そのためパークフォレストの人気が落ち、地価が下がり、結果、低所得層が増え、中流以上の住民が流出したということではないかと思う。
ホワイトも、パークフォレストの住民は転出入が多いと指摘している。日本風に言うとサラリーマンの転勤族が多く住んでいたからである。転勤族の多い町では、だからこそコミュニティ活動も盛んになるのかも知れないが、しかしやはり町への愛着がはぐくみにくいだろう。そしてもちろん、仮に町への愛着がいかにあろうと、町の中の商業施設が壊滅してしまっては、他の町へ流出する住民が増えるのは致し方ない。
私は(そしてニューアーバニズムは)ウォルマートのような大規模商業施設(ビッグボックス)を嫌う。日本では、そのビッグボックスは、古くからある商店街を壊滅させている。しかしアメリカでは、戦後の代表的ニュータウンの中の近隣商業施設まで壊滅させているのだ。レヴィットタウンの近くの、木の古い電柱が並ぶロードサイドにも1950年代から続いていそうな古い商店がいくつかあったが、さらにその近くにはやはりビッグボックスができていた。あと数年のうちに、レヴィットタウンでも古い商店がつぶれていくにちがいない。そのとき、今となっては懐かしい1950年代の古き良きアメリカの町の姿もまた消えていくのだろうか。
写真 パークフォレスト
写真 パークフォレスト内の近隣商業地区は完全に衰退していた